Profile

Kiranahオーナー  

Kiranah Spiritual Counseling  

平山 永修  Eishu Hirayama



鑑定歴:15年(2020年現在)


Profile:スピリチュアル・カウンセラー

    ホリスティックケア・カウンセラー

    アニマル・コミュニケーター

    西国三十三札所会 公認先達

    四国八十八ヶ所霊場会 公認先達

    四国別格二十霊場会 公認先達

    大和十三仏霊場会 公認先達

    京都十二薬師霊場会 公認先達

    洛陽三十三観音霊場会 公認先達


Kiranah店長

平山 小太郎

通称:ブー様


Profile:推定2004年春生まれ(保護犬)

書類上の誕生日:2004年8月9日

犬種:ミニチュア・ダックスフント


現在、巨大食道症闘病生活9年目

出勤日:毎月ブー様同伴日のみ

スピリチュアル・カウンセラーとしての歩み

□2004年12月  四国八十八ヶ所霊場の巡礼をスタート

□2005年 1月  四国八十八ヶ所霊場を徒歩巡礼をスタート


2004年、お遍路をはじめた当時、私は度重なる体調不良や不眠に悩まされていました。

病院に通い、お薬を処方されても体質にあわず、辛い思いもしながら、営業管理職の仕事に就いていました。

その頃の私は、自身の中にある、表現のしようのない違和感に、常に悩んでいました。

体重はどんどん落ちていき、ピーク時には、171cmの身長であるにも関わらず、40kg台まで、体重が落ちたほどでした。

それも、当時交際していた相手に騙され、多額の借金を抱えることになったことも、大きな理由の一つでしょう。

痩せ細っていく私を見かね、家族の誘いで、四国遍路に出て、少しずつ巡礼を続けて行く中で、様々な出会いがありました。

それまで、どこで暮らしてきたかもお互い知らない者同士が、時に支え合い、時に笑い合い、泣いたり、怒ったりしながらの旅は、とても人間臭く、そこは人生の縮図と呼ぶにふさわしい場所でした。


□2005年 3月  西国三十三札所の巡礼をスタート


四国で高野山真言宗の大僧正と出会い、寺社仏閣巡礼の基礎やマナーを学び、誘いを受けて西国巡礼をはじめました。

巡礼の過程で出会った方々に支えられ、励まされ、闘病を続けながらも巡礼を続け、仕事も続けていたのです。

しかし、2006年の初夏に、私はとうとう倒れてしまいました。

左側頭部に見つかった腫瘍や、喘息発作が出始め、腰の神経の一時的な麻痺により、寝たきり生活を送ることになったのです。

手術や度重なるリハビリ、入院生活を続けながらも、弱った身体に酷いアレルギーが出始め、追い打ちをかけるように、重度の突発性難聴などで、両耳の聴力が極端に落ちてしまい、外出もままならないほどでした。

少しずつ少しずつ、諦めない気持ちで通院を続けたものの、その後、薬の副作用に苦しめられることになりました。

病苦は次々と私を襲ってきます。それまで、親しくしていた友人たちとも疎遠になり、仕事も失い、騙された挙句の自己破産を経験したのです。うつ病も経験し、生きて行くことが辛くて仕方がなかったのです。


なぜ、生きているのか?


自問自答する中で、周囲の方々に支えられながら、四国遍路を毎月、続けました。

遍路の中で答えが見つかるとは考えず、無心になることを欲していたのだと思います。


子供の頃から受けていた親からの虐待や、自身の病苦や様々な問題を見つめるために、数多くの病院に足を運び、時には医師からの言葉や態度に傷つくことはあっても、より良くなりたいという一心で、あちらこちらを訪ね歩きました。

そんな中で、素晴らしい医師やセラピストの方、カウンセラーの方々と出会い、少しずつ、生きて行く力を取り戻していったのです。

社会人になってから出会った素晴らしい友人たち、家族の支えもあり、やがては


「私もいつかは、人を癒せるような人間になりたい」


そう思うようになったのです。

道のりは険しくとも、それでもあきらめずに治療を続け、遍路を続け、健康を取り戻していきました。

多くの方々に支えて頂けたお陰で生きているのだから、必ず、自分も人様のお役に立てるような生き方をしたいと考え始めたのです。


そんな中、2006年の暮れ頃より、突如、不思議な景色や声が、遍路の道中で聞こえるようになりました。

最初は、気のせいかと思いました。病の後遺症か?とも考えました。幻覚か幻聴に違いない。

そう言い聞かせていたのです。

しかし、ある尼僧の方と出会い、一気に私の「能力」が開花したのです。


見える、聴こえる


最初は戸惑いました。

なぜ?

TVでよく見かける霊能者や透視だとかは存在しないとは言わないけれど、なぜ、そのようなことが自分の身に起きたのか、まったくもって理解できなかったのです。


「あんたはお不動さんに、仏様に選ばれたんよ。その身を人様に捧げなさい」


尼僧の方にそう言われても、すぐに受け入れることなど出来るはずもありません。

私は頭がいよいよ変になってしまったのだろうか?と深く悩みました。

しかし、日を追うごとに力は増していきます。

力をコントロールするための修行やその他を学びながら、巡礼も続け、自分の役割や役目について考えるようになったのです。


□2007年 四国八十八ヶ所霊場会 公認先達

        西国三十三札所会 公認先達を拝命して


2007年に、気が付けばお陰様もあり、四国と西国の霊場より、公認先達の資格を拝命することとなりました。

当初は、恐れを多いと思いました。

なぜなら、先達とは霊場をめぐる方々の案内人として、寺社仏閣の歴史や仏様の事、巡礼の作法やマナーに至るまで多岐におよび、人様を導いていく大切なお役目だからです。

巡礼者のお手本となるべき存在なのです。


そんなこと出来るわけがない!勤まるはずもない!


一度はお断りをしたものの、当時、共に巡礼をしていた、今は亡き祖父にお伺いを立てたのです。

好々爺を絵に描いたような、生き仏のような優しい祖父だからこそ、言うべき時ははっきり言ってくれるのではと考えたからです。


「人様に尽くすんやで。人様のお役に立ちなさい。大丈夫や。兄ちゃんなら出来る」


祖父のその言葉を聞いて、私は先達の資格を拝命する決意をしたのです。

その頃には周囲の方々で、悩みを抱えている方の透視鑑定の依頼が幾つも舞い込むようになり、透視鑑定のお仕事も少しずつ始めるようになっていたのです。


□2008年春 先達業と透視鑑定をスタート


2008年、先達の会合に出席の折、知り合いの方に、旅行者を案内してくれる先達さんを探していると言われ、とんとん拍子で、先達としてのお仕事がスタートしました。

四国や西国の巡礼を中心に、巡礼者の方々を率いて、旅をするようになったのです。

これまで、数多くの失敗もしましたが、お客様に育てていただき、現在があります。

個人でも巡礼を続け、道中で高野山の伝燈大阿闍梨様と出会い、出家の話も浮上したものの、私は自分なりのやり方で、人様のお役に立てることがしたいと考え、僧侶にはなりませんでした。

しかし、とてもありがたいことだと思えたのです。自分にも役割がちゃんとあるのだと認識できたからです。

透視鑑定のお仕事も、あちらこちらからお声がかかるようになり、研鑽を積んで、人様のお役に立てるならと、より一層、修行を深めることにしたのです。

対価は基本的に受け取らない。受け取っても、受け取ったお金は、寺社仏閣におさめることにしていました。


□2010年夏 祖父との別れと決心


時は7月。四国遍路の三泊四日の巡礼中の初日、祖父の訃報を知りました。

仕事上、代わりの先達もおらず、帰るわけにもいかず、葬儀にも参列できませんでした。

今でも悔やまれることですが、祖父がきっと見守っていてくれると信じ、祖父との約束を果たそうと決心したのです。


□祖父の遺言 「大先達になるんやで」


生前、祖父は、先達になる条件として、私に通常の方が取得できる「大先達」という最高位の資格をとるように言いました。

それはそれで、ハードルの高いことだと私は考えていました。しかし、それも、もう間もなく叶うことになります。約束をしてから11年の月日が流れました。

因みに、祖父と私に血の繋がりはありません。家庭の事情もありますが、私にとっては血など関係のない、今でも最高の祖父です。


□人生を変えた、大学教授との出会い


遍路の旅を通して、私は、自身のその後の人生を変えることとなる、名古屋の大学教授の高井恭子先生と出会いました。

先生との出会いで、私の人生はされに拓かれていくこととなります。

非常に強い霊力もお持ちの先生が主宰されていた、文化センターの生徒さんと共に、1年半、毎月、西国巡礼の旅に先達として、ご一緒させて頂いた中で、自身のあり方や、透視を含めた力のあり方を学んだのです。

ユニークな先生との旅を通し、視野が広がり、素晴らしい出会いにも恵まれ、私は思い切って自身についてご相談申し上げたのです。先生のお答えは実に単純明快でした。


□露を食べて生きてはいけない。私たちは命を削っているのだから


透視をすることは、とても体力と集中力を要します。ごく稀にではあれ、動けなくなる程、疲れることもあります。

会うなりいとも簡単に、見てよ、と言う方が居るのですが、先生曰くの、命を削っているのです。

時に、自身の身体に不調をきたすこともあります。だからこそ、常日頃からエナジーチャージも必要ですし、ケアは怠らないように心がけています。

露を食べて生きてはいけない。まさにその通りで、先生にある日、言われたのです。


「平山さん。命を削ってるんだよ、私たちは。お金は頂きなさい。あなたは、それを受けなきゃだめよ」

「いい加減に頂きなさい。露を食べて生きてはいけないでしょう」


それまで、前述のように、透視鑑定の鑑定料金は受け取らず、また、受け取っても寺社仏閣におさめてきました。

それはもうそろそろ、いいのではないか?と、先生に諭されたのです。

すぐには、それを受け入れることは出来ませんでした。自身が未熟であると感じていたからです。

しかし、その言葉だけは忘れないで居よう、と思ったのです。


□先生との別れと、12年修行すると決めた理由


数年前、高井先生が末期の肝臓がんに侵されていると知りました。

そして、あっという間に先生は、50代半ばの若さで旅立たれてしまったのです。

命を削って生きていた先生を思うと、今、自分に何ができるか?を真剣に考えたのです。

そして、力が目覚めた当初から、見えていた12年という数字。

12年は修行を続けよう。それから、本格的にお仕事としてはじめよう。


気が付けば、あっという間に12年以上の月日が流れました。


□2017年5月 Kiranah開業


12年間の修行を経て、2017年の5月、Kiranahを開業しました。

家族の介護や、自身の大けがや入院などもあり、17年は開業もそこそこに、治療に専念し、2018年はさらに資格取得に集中するために、勉強と各所の巡礼に励みました。

そして、ようやっとのことでの、今


病苦にあえいだからこそ、病気で苦しむ人の気持ちに寄り添いたい

介護に悩み続けたからこそ、介護で悩む人の声に耳を傾けたい

虐待や心の問題、その他の普段ご相談をうける霊障で悩む方や、将来の不安、現状の不安、あらゆる依頼者様の抱える問題に、耳を傾けたい、心も傾けて行きたい、と思うようになったのも、ここに書ききれないほどのことも含め、経験をしてきたからこそなのです

それらをすべて昇華し、いつしか、それが私の糧になりました

お陰様での今、笑顔で日々を過ごす事が出来る今だからこそ、少しでも、依頼者様含め、人様のお役に立てるようにと日々、考えております



Kiranahとはサンスクリットで किरणः  と、表記します。

Kiranah(किरणः )と書いて、「キラナ」と読みます。

Kiranahは【光線】【光】、それも【太陽や月から降りてくる光の筋】という意味になります


皆様のこころに、希望の光が差し込むよう、そんな存在であれるように、と、願いを込めて名付けた屋号です


皆様が、日々をよりよく生きられるよう

こころ健やかに穏やかにお過ごしいただけるよう

鑑定等を通して、お悩みや問題解決のお役に立てるよう、精一杯、努めて参ります


                                  感謝をこめて


                              2019年3月28日



                                    平山永修